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外出自粛で思うこと

緊急事態宣言が先週発令されて外出自粛を約1週間実践してみて思うことを、一人暮らしアラカン(=around 還暦)男子として記しておこうと思います。

現在私は完全リタイアまでまだ数年あって平時はふつうに仕事をしていますが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大による非常事態によって、図らずも擬似的なリタイア生活を体験しているのだなと感じています。

もちろん、仕事は自宅にてテレワークの形式になってはいます。それでも時間も仕事内容も自身の裁量でできるので気分は隠居生活そのものなのです。外出は基本買い物が主目的でついでに運動がてらご近所界隈を小1時間ばかりウォーキングする感じです。

まず思うことは、一日がほんとにあっという間に素早く終わるということ。充実した大したイベントも何もなしに時間が過ぎていくという、儚い日々がただ過ぎ去っていく。

そして、もう一つは人との繋がりの薄さです。密接、密集、密室の3つの密を避けることが半ば強制されていますが、それは、すなわち、できるだけ人と接する機会を極小化するということですね。

親しい人との接点が無くなることはシニアにとっては宿命と言ってもよいですね。自宅にて一人で大半の時間を過ごし、誰とも話したり会ったりしない日が連続して続きます。パートナーや友人が亡くなって家族とも疎遠の高齢の我が身を想像します。もちろんこれは長生きできればという前提ですが。

自分はそんな環境に堪えられるだろか、きっと無理だろうと諦めています。まだ心身ともに元気な初老の自分がそう思うなら、高齢になって心のエネルギーが衰えた時にはもっと堪えられないに違いないと思うのですね。

一人になって孤独を感じないように心を強くしないといけないのでしょうか。それとも、いや、孤独を感じないほど鈍感で単純な人間になるべきなのでしょうか。

若い頃に自分が高齢になったら、達観して何事にも動じない老人になっているだろうと勝手に推定していましたが、いざ自分が実際に老いてきて感じることは心の中は若い頃とそう大して変わっていないということです。

見た目は確かに一人前の老人ですが、中身はまったく追いついていないような気がするのです。悟りや達観といった老境に入って会得すべき心構えがほとんど醸造されていない。自分と向き合って哲学的に人生や人間について考えることをもっとしなければいけないのだろうと思います。

きっと、毎日、やること、楽しむこと、情報処理など多くの目先のことが多過ぎて、自分と向き合う時間が少な過ぎるのですね。そういえば、30代後半から40代に山歩きを趣味としていた頃は、仕事も家庭もいろいろやることはあったけれど、毎週末の登山は自分と向き合える貴重な時間でした。

登山は苦行といえますが、有酸素運動でストレス発散にもなり心身のリフレッシュにとてもよい趣味です。血液循環がよくなって脳は活発に作動しますし、自然の中を気分よく歩きますので、前向きな思考や新しい考えが頭の中を廻ります。

今回の外出自粛で思うのは、若い頃の時間の過ごし方を思い出して、しっかりと自分と向き合うよい機会にすべきだということです。もちろん、コロナウイルス感染拡大に個人として最大限協力することは必須ですが、外的環境により与えられた場を積極的に活用したいものです。

体力は落ちたけれど、ウォーキングやトレッキングでもして、自己を見つめる時間をたくさん持つのもよいのかなと思っています。これからの老いとどう向き合うのか、自分はどんな老人になるのか、健康のこと、家族やパートナーとの関係、社会との関わりなど、考えることは山ほどあります。

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